山の上の経営録 ❘ ⑳〜誰にも嫌われない文章〜

ペンション経営

なんとも恐ろしい…。

ある記事を読んでいたら、こんな言葉が出てきた。

「メンタルブロック」

言葉の通り、自分のメンタルを守るために、見えない壁を作ってしまうこと。

失敗したらどうしよう。

自分にはできないよ。

こんなことをしたら笑われるかも。

今のままのほうが安心だ。

「自分で自分に見えない壁を作ってしまう。」

わかるのだよ。

散々、この気持ちに止められてきたから(笑)。

コンプレックスなんかも、そうなのかもしれない。

自分の場合、髪の毛がくるくるだから、セットせずには外に出られない。

だから、帽子をかぶっちゃお〜とか。

でもね、帽子ばかりかぶってもいられない。

だから、大人になってから金髪にしてみた。

髪の毛を染めたら、もっと自分に自信が湧いてくるかな?

なんて思ってみたり。

見えない下着を、恥ずかしい柄にしてみたら自信が出るかな?

とか。

ちなみに、今の俺のパンツはド派手な赤やねん。

なんて胸を張れる……張れる?(笑)

意味不明なことを考えたこともあったな〜(笑)。

恥ずかしさだったり、自信のなさだったり。

そんなこと、自分しか見ていないのにね!

洗濯物をベランダに干しているときは、

「ちょっと思われるかな?」

「隣の人のパンツ……ド派手!!」

なんて(笑)。

いや〜、ちょっと脱線。

でも、こういうことって、意外とあるんじゃないだろうか。

自分が気にしているほど、周りは気にしていない。

頭ではわかっているのに、なかなか気にしないようにはできないんだよね。

そして、文章も同じだった。

「こんなこと書いていたら反論されそうだな」

「間違っていたら恥ずかしいな」

「偉そうだと思われないかな」

そう思って、どんどん表現が柔らかくなっていく。

最初は、これを伝えたい!

と思って書き始めたはずなのに。

何度も文章を修正していくうちに、最初に書きたかったことが薄れていく。

誰にも嫌われない文章にはなったものの、誰の心にも刺さらない文章になっていく。

そんなことが起こるのかもしれない。

もちろん、相手に配慮することは大切だと思う。

自分の考えを伝えるにしても、相手を傷つける必要はない。

言葉の選び方ひとつで、伝わり方だって変わる。

でもね。相手に配慮することと、自分の考えを曲げることは、同じなのか?

ここが、なんとも難しい。

反論されたくないから、言葉を濁す。

間違っていると思われたくないから、断言しない。

偉そうだと思われたくないから、自分の考えを引っ込める。

それって、本当に相手のためなのだろうか?

もしかしたら、自分が傷つかないためにやっているだけなのかもしれない。

もちろん、何でもかんでも自分の考えを押し通せばいいわけではない。

自分の考えが間違っていることだってある。

だからこそ、相手の意見を聞くことも大切だし、自分の考えを見直すことも必要だと思う。

ただ、反論されるのが怖いからといって、最初から自分の言葉を弱めてしまうのは、ちょっと違う気がする。

誰かに嫌われないように。

誰かに否定されないように。

そうやって言葉を選び続けていたら、いったい何を伝えたかったのか、自分でもわからなくなってしまう。

届けたい人だけに、届けばよい。

それはそうなんです。

でも、それが難しいんだよね……。

誰かに何かを伝えようとする以上、反論されることもあるだろうし、誤解されることだってある。

それでも、自分が本当に伝えたいことまで、引っ込めてしまわなくてもいいのかもしれない。

……なんて、偉そうなことを書いているけれど。

今も、こうして書いた文章を読み返しながら、

「これ、大丈夫かな?」

なんて考えている自分がいる(笑)。

誰にも嫌われない文章を書くことと、自分の言葉で伝えること。

その両立は、なかなか難しい。

さて、次の記事では、もう少し思い切って書けるだろうか。

いや、どうだろうね(笑)。

こんな記事も書いています。

よかったらお付き合い下さい😊

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