なんとも恐ろしい…。
ある記事を読んでいたら、こんな言葉が出てきた。
「メンタルブロック」
言葉の通り、自分のメンタルを守るために、見えない壁を作ってしまうこと。
失敗したらどうしよう。
自分にはできないよ。
こんなことをしたら笑われるかも。
今のままのほうが安心だ。
「自分で自分に見えない壁を作ってしまう。」
わかるのだよ。
散々、この気持ちに止められてきたから(笑)。
コンプレックスなんかも、そうなのかもしれない。
自分の場合、髪の毛がくるくるだから、セットせずには外に出られない。
だから、帽子をかぶっちゃお〜とか。
でもね、帽子ばかりかぶってもいられない。
だから、大人になってから金髪にしてみた。
髪の毛を染めたら、もっと自分に自信が湧いてくるかな?
なんて思ってみたり。
見えない下着を、恥ずかしい柄にしてみたら自信が出るかな?
とか。
ちなみに、今の俺のパンツはド派手な赤やねん。
なんて胸を張れる……張れる?(笑)
意味不明なことを考えたこともあったな〜(笑)。
恥ずかしさだったり、自信のなさだったり。
そんなこと、自分しか見ていないのにね!
洗濯物をベランダに干しているときは、
「ちょっと思われるかな?」
「隣の人のパンツ……ド派手!!」
なんて(笑)。
いや〜、ちょっと脱線。
でも、こういうことって、意外とあるんじゃないだろうか。
自分が気にしているほど、周りは気にしていない。
頭ではわかっているのに、なかなか気にしないようにはできないんだよね。
そして、文章も同じだった。
「こんなこと書いていたら反論されそうだな」
「間違っていたら恥ずかしいな」
「偉そうだと思われないかな」
そう思って、どんどん表現が柔らかくなっていく。
最初は、これを伝えたい!
と思って書き始めたはずなのに。
何度も文章を修正していくうちに、最初に書きたかったことが薄れていく。
誰にも嫌われない文章にはなったものの、誰の心にも刺さらない文章になっていく。
そんなことが起こるのかもしれない。
もちろん、相手に配慮することは大切だと思う。
自分の考えを伝えるにしても、相手を傷つける必要はない。
言葉の選び方ひとつで、伝わり方だって変わる。
でもね。相手に配慮することと、自分の考えを曲げることは、同じなのか?
ここが、なんとも難しい。
反論されたくないから、言葉を濁す。
間違っていると思われたくないから、断言しない。
偉そうだと思われたくないから、自分の考えを引っ込める。
それって、本当に相手のためなのだろうか?
もしかしたら、自分が傷つかないためにやっているだけなのかもしれない。
もちろん、何でもかんでも自分の考えを押し通せばいいわけではない。
自分の考えが間違っていることだってある。
だからこそ、相手の意見を聞くことも大切だし、自分の考えを見直すことも必要だと思う。
ただ、反論されるのが怖いからといって、最初から自分の言葉を弱めてしまうのは、ちょっと違う気がする。
誰かに嫌われないように。
誰かに否定されないように。
そうやって言葉を選び続けていたら、いったい何を伝えたかったのか、自分でもわからなくなってしまう。
届けたい人だけに、届けばよい。
それはそうなんです。
でも、それが難しいんだよね……。
誰かに何かを伝えようとする以上、反論されることもあるだろうし、誤解されることだってある。
それでも、自分が本当に伝えたいことまで、引っ込めてしまわなくてもいいのかもしれない。
……なんて、偉そうなことを書いているけれど。
今も、こうして書いた文章を読み返しながら、
「これ、大丈夫かな?」
なんて考えている自分がいる(笑)。
誰にも嫌われない文章を書くことと、自分の言葉で伝えること。
その両立は、なかなか難しい。
さて、次の記事では、もう少し思い切って書けるだろうか。
いや、どうだろうね(笑)。
こんな記事も書いています。
よかったらお付き合い下さい😊
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